真山隼人 舞台復帰!! 2022年1月号より
目次
1.入院からリハビリ中のこと
2.病院生活で辛かったこと
3.入院生活で気づいた発見
1.入院からリハビリ中のこと
隼:浪曲生活始まって 11, 12回の冬を迎えましたけど、まんべんなく一騒動あったわけ
ですよ。だから、そのうちの一つと思える反面、一番重かったのは今年やったかもしれない。
―そうでしょうね。命に関わってわけですから。今日はそのことについて深く聞いていきた
いと思います。事故から数日経って意識が戻った時にはどういう状況だったのでしょうか。
隼:体が縛られてて、完全にすごい固定されてるんですよ。それまで暴れてたんでしょうね。
―自身の状況を理解したいのは入院から大体何日後くらいになるのでしょうか。
隼:金曜に入院して水曜ですね。それまでの記憶は断片的にはあるんですよ。一番最初の記
憶は月曜日。さくら姉さんが手握って大丈夫かって言ってくれてるのに気がついて、お医者
さんが後ろで「もう大丈夫だ」って仰ったのが本当に一番最初。二度目の記憶が火曜日。酸
素マスクとか拘束を外される時のこと。
隼「これなんですか?」
看護師「あなた暴れたのよ」
隼「なんで咳出るんですか」
看護師「あなた肺炎も患ってるのよ」
隼「肺炎?何?」
みたいな。
それで、水曜日にさくら姉さんがまた来てくれて、
さくら「大丈夫?大丈夫?」
隼「大丈夫。ところで今日は何曜日?」
さくら「水曜日」
隼「えっ、じゃあ、土曜日の浪曲大会行けなかったの?何々の仕事は?」
さくら「行けなかったのよ」
隼「なんで?」
さくら「事故があって、ずっと入院してのよ」
そこで初めて自分のことを知らされたんです。
隼「でも、ぼく次の週の千之丞さんの仕事には行くから」
さくら「行けるわけないでしょ」
隼「いや、行く行く」
さくら「行けるわけない」
ってやりとりしたのが完全に記憶戻ったタイミングですね。
― 5日間ほども。記憶を取り戻したものの、体はだいぶ弱ってたんですよね。
隼:最初は立てなかったですからね。今みたいにずっと喋ることもできないんですよ。ひと
言ふた言喋ったら寝ちゃうんです。10分間の面会もまともに10分間起きてられなかった。薬の影響じゃなくて。
―痛めた場所が頭だったので影響が出たのですかね。
隼:そうですね。だから、起きたら頭は痛いわ。頭にホッチキスみたいなん止まってるわ。上向いたら目は回るし、坐骨が痛いし、耳が聞こえないんですよ。
―そうなんですか。
隼:(耳の近くの骨が)折れてるから。咳は出るわ。血痰は出るわで。
―その時は今後浪曲ができるとかも考えたりされましたか。
隼:それどころじゃなかったですね。意識があったと思ったら、また寝るわけですから。全
然そんな状態ではないですね。
―生きることが精一杯って感じですね。
隼:先生がもう大丈夫って言ったのは聞いてましたけど、自分の中では全然ダメでしたよ。浪曲どころじゃないですね。起きてられないんですから。
―歩けるようになったのはそれから数日後ですか。
隼:そうですね。水曜日に記憶戻って、翌日に車椅子でトイレ行って、その次の日に立って
歩きましたね。記憶が戻ってからも、大きな声は出さないよう言われてたんですけど、こっそり「あぁ」ぐらい出してみたものの、意思疎通ができないくらい呂律が回ってなかったんですよ。頭もしっかりしてないし、これはもしかしたら、もう浪曲むりかもしれんなと、その時に思いましたね。
―そう思うこともあったんですね。
隼:それにつけても、さくら家はどうしたらいいのかと。そればっかり思ってましたね。僕
に賭けていっしょにやってくれてる訳ですから。それが一番不安でしたね。
―ご自身が浪曲できるかどうかよりも、さくらさんの仕事や今後が不安でしたか。
隼:その不安の方が大きかったですよ。だからこそ、何としてでもやるんやって思いもあり
ましたね。
―さくらさんといっしょにやることが復帰へのモチベーションにもなったわけですね。し
かし、呂律が回らず目も回るとい体調から復帰までの道筋というのはなかなか想像し難い
ですよね。
隼:これまで培ってきた真山隼人という芸人として、最低限の芸は見せられてる、そこまで
戻れるかどうかですよね。だから、やっぱり僕が僕として今まで通り、もしくはそれ以上の
浪曲ができるかどうか。お客さんを見ながらやることにこだわってたわけですから。聞き覚
えでない、生きる現代浪曲、これができるかどうかですよね。それができなかったら、仕事
もないやろし迷惑かけるなぁと。悲しかったですね。せっかくここまできたのに。
―浪曲ができると思えたのはいつ頃ですか。
隼:大丈夫だって本当に思えたのは正月明けてからです。何としても一月の復帰に向けてや
るんだっていう。みんな気をつかってくださって、ゆっくりって仰るんですけど、まだ僕 26
歳ですから、馬力をかけるためにも、まず復帰の日を決めて、稽古して、一月二日に初めて
声を張り上げてやってみたら、案外痛くなくて、普通にできたんで、完全に大丈夫と思った
のは一月二日です。
―それまで全力の声は出してなかったんですね。
隼:そうです。病院では滑舌だけは戻そうとして。リハビリの先生といっしょに浪曲使って
やってみたり。でも、台本も忘れてるんですよ。頭打った衝撃で。
―それから 3ヶ月程で浪曲ができる状態にまで回復させるのは本当にすごい体力と精神
力ですね。
隼:こないだ病院行ったら、主治医の先生が「あんたすごいなぁ、あん時は死ぬか生きるや
ったんやで、アハハ」って笑ってはったんで。僕は別に体を治すだけやからいいですけど、
さくら姉さんが大変ですよ。散歩や買い物にも付き合ってもらって、リハビリで出掛けるの
にも一緒に来てもらいましたから。それだけ浪曲を意識できる人がリハビリ中に近くにい
るだけでやっぱり違いますよ。
―それは浪曲ならではですね。仲間がいるというか。
隼:ありがたいですね。
―直接浪曲をしなくても、そうやって浪曲に触れていることこそが復帰を早めてるのでし
ょうね。
隼:色んなことしましたよ。台本読んだりとか、テープ聞いたりとか。本を読んだり。
あと、河内家菊水丸師匠には、師匠自身も病気をされていたこともあったので、病後の話と
か励ましをしていただいて、助けていただきましたよ。
菊水丸師匠以外にも文楽、狂言、演芸界にも良い沢山仲間がいて、待っててくれる、励まし
てくれる。先輩が多いんですけど、敢えて仲間と言わせていただきます。一人じゃないと思
わせていただいたので。
2.病院生活で辛かったこと
隼:病院で辛かったのが、コロナで面会がダメなんですよ。
―そうなんですよね。
隼:いちおう一週間に一回荷物を届けるということで、 5分間だけ会える。でも、その 5
分ていうのも下のエレベーターに乗って、上の階に上がって話をして、下に降りるまでをト
ータルで 5分。だから、実質会えるのは 2分あるかないかですよ。
―週に一回で 2分だけですか。入院生活って孤独ですね。これまでは周りに浪曲や演芸の
話ができる人がいっぱいいたのに、周りは医者と看護師と患者さんだけですもんね。辛い環
境や。
隼:そうですよ。ぼくは集中治療室から一般病棟に行く時に、ぼくは一人部屋を希望してた
んですよ。それが何かの手違いで一般病棟に行く一時間前に四人部屋になるって言われた
んですよ。ちょっと待てと思ったんですけど、仕方なく四人部屋に向かってたんです。そし
たら、その途中に特別室というのが空いてるんですよ。聞いてみたら、特別室は高いと言う
んですけど、それでもいいから入れてほしい。集中治療室にずっといたからこっちは精神的
に参ってるわけですよ。
―集中治療室にずっといるのはキツいでしょうね。
隼:それで一人でゆっくり過ごしたいと思って。少々高くてもいいから、ここにしてくれっ
て頼んで特別室入れてもらったんですよ。
―入れて良かったですね。
隼:その特別室が後で聞いたら、某人間国宝さんと某落語家さんもそこに泊まってらっしゃ
った。そこの部屋は特別な掃除のオバチャンがつく訳ですよ。その掃除のオバチャンも芸能
界にも詳しくて、怒られましたよ…。
―なんで怒られたんですか。
隼:あんたはまだここ泊まる身分じゃないって。
―(笑)
隼:ええやんお金出して泊まってんねんから(笑)
―そもそも怪我してることが異常事態ですからね。
隼:そんなこんなで一週間くらい特別室にいたけど、予約が入ってるから二人部屋に行くこ
とになって。怖いじゃないですか。ずっと一人で呑気に暮らしてたのに。二人部屋行くなん
て。だから隣のオジサンどんな人かなと思って、先に挨拶だけさせてもらったんです。それ
が良かったんですね。オジサンと仲良くなって。そしたら、いつも行く寿司屋の大将の同級
生。
―なんでまたそんな偶然が(笑)
隼:わりと近しい人やったんですよ。それで二人部屋に移って、一泊して、次の日退院した
んですよ。
―そうなんですか!そしたら、その寿司屋の同級生の方とは一日だけ。
隼:そうです。それでも大盛り上がり。
―すごい社交性。二人部屋を心配するほどでもないじゃないですか(笑)。でも、盛り上が
れるだけ回復してたのが良かったです。
隼:やっぱり一週間かけて特別室で養生したのが良かったんですね。その間はずっと浪曲聞
いてましたね。真山一郎、京山幸枝若、真山一郎、京山幸枝若この繰り返し。
3.入院生活で気づいた発見
―それだけ聞くと、また新たに発見することもありましたか。
隼:めちゃくちゃありました。根本的に浪曲が持ってるモノという意味合いで、一人一芸と
いう世界の築き方と、先人がどうやってそれを築き上げたのかをかなり分析したんですよ。
そこから、浪曲はこういう風に築いていけばいいのだと。
―それは沢山時間があって、若い頃の音源から追って聞くことができたからこそですか。
隼:そうですね。例えば、初代幸枝若師匠の若い頃から晩年までを聞いて。初代幸枝若師匠
ってオリジナルというより、昔の浪曲を洗ってやってる感じじゃないですか。その洗う前の
元になってる昔の浪曲を聞いてみたら、コレをこういう風に自分なりのカラーに変えるんだと。それがまず分かったこと。それで聞いていくうちに、幸枝若師匠のネタの中でも誰が
やってたんか分からなかったネタもあったんですけど、それもよく聞けば、出典元が分かっ
てくる。元々この人がやってたに違いないっていうのが。
―それは何で分かるのですか。
隼:節の使い方ですね。駒蔵系統から流れる幸枝若節のネタ、その時にしか使わない節って
いうのがあったりとか。駒蔵系のネタをどう調理してるかが分かった。
で、真山一郎先生に関しては、いかに華井新から脱却して真山一郎としてやっていったかと
思ってたのですが、よく聞いていったら、この節は華井新の節やったんやって気づく。だか
ら、やり口は脈々と受け継がれている。
―ルーツが見えたんですね。
隼:ル―ツ見えたんですよ。コレや!と思って。
―真山一郎先生は演目も浪曲もオリジナルカラーというイメージでしたけど。
隼:そうですよ。ご自身のカラーで、台本もオリジナルでやってるんですけど。ちょっと出
てくる華井新の匂いのある節なんですよ。
これで感じたのが西本恭男の浪曲、小椋喬の浪曲、その人本人としての性格を持っている
浪曲なんですよ。なんでそれに気づけたかと言えば、病院で誰とも付き合ってないから自分
自身を見つめ直すきっかけになったからですよ。普段内田さんなんて言われることないじ
ゃないですか、それが病院ではみんなに内田さんと言われる。10年ぶり以上ですよ。久しぶりに自分を見つめ直しましたね。
※西本恭男(初代真山一郎の本名)、小椋喬(初代京山幸枝若の本名)
―なるほど。浪曲を聞き込むことで、その人の浪曲のルーツを知ると同時に、その人独自の
部分も聞き分けるようになったのですね。
隼:そうですよ。いかに自分のカラーでやってますと言えども、そこにルーツがあって、そ
こに自分のカラーを入れてるわけです。
―隼人さんの聞き方はすごいですね。僕みたい素人にすると、幸枝若師匠も真山一郎先生も
オリジナルに聞こえるんですよね。色んなルーツと独自性が合わさって、一つのオリジナル
にしか聞こえないのですが、隼人さんにはルーツとオリジナルを分解して聞き分けられるのですね。
隼:そうです。ルーツの浪曲に対して、いかに自分の浪曲をぶつけてるかですよ。それを分
かったからこそ、これから自分がどうやって浪曲をやっていくか考えるきっかけになりま
したね。最終的にはお客さんには工夫してるなんて色が見えたらダメなんですよ。さっき、
阪田さんが言ったように京山幸枝若の浪曲、真山一郎の浪曲、こう思われるようにしないと。
僕の浪曲の悪いのはやってたら、ルーツになった浪曲がまだ見えてることです。だから、
復帰したら自分のカラーというのを見つけてやろうと思って。
―あるゆるプロフェッショナルに通じそうな理念ですね。
隼:僕は浪曲を制覇したとは言えないですけど、また一つ前に進めたというのは今回倒れて思いましたね。こういう芸能かと。それを知ったからこそ、気づく自分の未熟さ。
―また新しい課題が見えてくるのですね。
隼:そうですね。だから、より自分自身と向き合っていかないなといけないと思いますね。 15歳で入門して今まで無理してた部分もあったんで、無理矢理大人として振る舞おとして
たりとか。
―悪い意味で抑制してしまってる部分があったのかもしれないですね。それが解放される
と、自分らしさに気づけたり、舞台でもそれが発揮されそうですね。
隼:それは思いますね。
―浪曲ができない間も浪曲の糧にしているのがさすが隼人さんですね。
隼:時間あったからですよ。
―日常から離れて考える時間って普段なかなかないですもんね。
隼:あるようでないじゃないですか。
―別の立場になって考えたり、やりたくてもやれない状況に置かれるのは見つめ直すきっ
かけになりそうです。
隼:あるかもしれないですね。しんどかったですけど、浪曲とはなんぞやっていうのを考え
てみて。浪曲は色んなものがあって、人それぞれなんです。でも、それぞれの中にある共通
点というか、これだけ崩してはいけない芯が見えてきたような気がしますね。逆に崩さなア
カンと思うところも仰山あるし。
―復帰後もこれまで以上の活躍を楽しみにしています。
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