浪曲台本コンクールへの思い 2022年9月号より
目次
1.真山隼人浪曲台本コンクールの狙い
2.ゲスト・桂三語さんとの出会い
3.新たな二つの舞台
1.真山隼人浪曲台本コンクールの狙い
―最初は現在募集中の「真山隼人浪曲台本コンクール」の話から聞いていきたいと思います。以前にも一般の方から台本を公募したことがありましたよね?
隼:あれは2017,18年でしたかね。あの時は隼人向けと幸太向けに分けて募集したんですよ。それで幸太が「並木路子物語」、ぼくがご存知の通りの「西城秀樹物語」。
―懐かしい。「西城秀樹物語」は衝撃的でした。
隼:あれは歌舞伎の早替わりを取り入れて、猿之助ばりにやったつもりですよ。その時に使ったのが、前の師匠から「いずれ役に立つから」と言われてもらった金キラの着物。内心「これ役立つかなぁ?」って思いながら、持ってましたけど、あの時に初めて役に立ちましたよ。
―あの着物だからこそのインパクトもありましたよ。あの公演の後も何度か口演されたんですよね。
隼:やってみたらわりと好評で、東京でもやることになったんですけど、その時、めっちゃ浪曲会が被ってて客入りが薄かったんです。でも直前に「西城秀樹物語」やりますってツイッターに書いたら、秀樹ファンが「そんなん浪曲にあるの?」って反応して、ズワァーと予約が入ってきて、前々日くらいまで予約十数人やったのに、蓋開けてみたら、浪曲ファン20人、秀樹ファン20人で40人。でまた、見事に右側が浪曲ファンで左側が秀樹ファンなんですよ。で、こういうファンの方ってお目当てのが終わったら帰るんじゃないかな?と思っていたのですが、それが最後までじっと聞いて、後々の浪曲会も来てくださったり。そういう縁もできて、いい思いをさせてもらったと思ってるんですよ。
―一本の浪曲から色んな展開や縁を作っていくのがすごい。それで、今回再び募集しようと思ったきっかけは何でしょうか。
隼:あの時から掘り起こしをしたり、最近ではにぎわい座の布目さんが「あれやれ、これやれ」とめっちゃ課題下さるんですよ。それ以外にも桂須磨子師匠の台本や、協会の幸枝師匠の台本もあって、すごい嬉しいことやと思いながら、時節を見てネタおろしをしてるんですけど。じっと考えて、自分だけの作品というのはいるなと。
―なるほど。
隼:元々浪曲ってそうじゃないですか。米若の佐渡情話、三門博の唄入り観音経と。僕にとっての第二の「ビデオ屋の暖簾」とは言いませんけど、ぼくの中では百合子師匠の「両国夫婦花火」のような作品。
―両国夫婦花火も一般公募から生まれた作品でしたね。
隼:浪曲業界には古くからそういう風潮があって、NHKの公募で「両国夫婦花火」だとか、五月一朗先生の「糸脈同心」という名作が生まれていたり。まぁ言うてみたら、一般から募集することがあったわけですよ。それはNHKや国立演芸場、そういう大きな所がやってた。それを一浪曲師で募集したのが三代目の奈良丸先生で、昭和十年台に懸賞金付きの台本コンクールをやってるんです。
―そんなことを個人でやってたんですか。応募はあったんですかね。
隼:けっこうあったみたいですよ。こないだその時の本を見つけて。これ昭和11年の本なんですけど。
―しっかりした一冊の本なんですね。
隼:収録されてる全部が新台本ではないんですけど、こんな感じで台本コンクールは以前からあって、けっこう応募もあったみたいですよ。
―浪曲台本の一般公募って実は昔からある文化なんですね。
隼:ぼくもやっぱり古い台本のコツ。古い台本をどうアレンジするか、それはもちろんやっていくんですけど、一回サラの台本をやってみたいなと思ったんです。しかも、浪曲に近しい人間ではない、浪曲作家の方とは違う、浪曲を書いたことないけど僕を知ってる人に、貴方が望む浪曲を僕に与えてくださいっていうので募集しました。これは面白いのではないかと。
―隼人さんにとっての「両国夫婦花火」が今回の企画を通して生まれるかもしれないと。
隼:そうです。それしかないです。ぼくにとっての両国夫婦花火がほしいわけですよ。
―それは内容ではなく、一般の人が書くところに意味があるわけですね。自分の中にない新しいインスピレーションというか。
隼:ぼくの中にある浪曲って大体決まってるわけですよ。奈良丸やったり、真山一郎やったり、晴海、駒蔵、幸枝若、百合子、小円孃…と。自分の中にあるネタ、やり口っていうのが染み込んでるんで。染み込んでというとおこがましいですけど。
だから、ぼくがとにかくこの台本コンクールでは、ぼくの盲点を突いてほしいと思ってます。やっぱり盲点ってあると思うんですよ。ただ単に貴方が思う浪曲を書いてきてほしいんです。今すでに5,6通来てますが、見てて面白いのは自分では思い浮かばん世界があるんですよ。これ僕では思いつかない繊細な物語だなとか。
―なるほど。隼人さんの目指す浪曲って現代に生きる浪曲なので、そういう意味でも今の一般の人の感覚が反映されるのはいいですよね。
隼:そうですよ。20代か30代の女性から送っていただいてて。うまいこと脚色してるなぁとか思ってます。
―選べないんじゃないですか?何本選ぶんでしたっけ?
隼:3本です。
―3本でも少ないですよね。今もすでに5,6通来てますし。
隼:その5,6通もええのばっかりですよ。逆に僕みたいなんが選ぶのも失礼やなと思いながら、読んでます。
―苦しい判断ですね。
隼:いけるなと思うものは後々、形にはしていきたいなと思いますよ。会としても色んな形で開催したいですし。
―絶対楽しい会になりますもんね。
隼:これはええ企画ですよね。コロナになって、まずお手製CDをやって、配信をやってもらって、次は視聴者参加型やなと思ったんですよ。
―なるほど。いい発想ですね。より多くの人に色んな形で参加してもらいたいですよね。
隼:頑張りますよ。せっかく書いてくださったんですから。打って響くように頑張らなアカンと思ってます。
2.ゲスト・桂三語さんとの出会い
―今回のゲストが桂三語さんです。三語さんとは先日、桂文枝師匠にお願いをする時にご縁ができたそうですね。
隼:そうです。桂文枝師匠の創作落語「鯛」を浪曲でやりたくて、師匠にお願いをする時に間に入っていただいて。
―隼人さんが浪曲で「鯛」をするんですか。
隼:まだ正式にもらった訳ではなく、あくまでお願いをしたという段階で。憧れのネタなので、ちゃんと稽古して、それを見ていただいてからと思ってますので。まだお願いという段階ですが。
―なるほど。過程を経てからということですね。ちなみに「鯛」が憧れのネタというのはどういう経緯がありますか。
隼:ぼくが初めて聞いのが小学校の5年生くらいの時でした。お正月、地元に三枝一門会が来たんですよ。それに自分のお年玉で行ったんです。
ちなみに、行った時にパンフレットがめっちゃ豪華やって、千円やったんです。その時持ってた五千円札で一冊買おうと思って、五千円出したら5冊売られかけて「えっ」ってなったんですけど、売ろうとしたのが三金兄さん。今やったらツッコミも言いますけど、当時はそんなん言われへんくて、怯えてたんですよ。まさか後にあんなにお世話になる三金兄さんやと思わず、何やコイツと思ったんですけど(笑)。縁って分かりませんね。当時はお兄さんももっと痩せてましたよ。
で、話が逸れましたけど、その時に当時の三枝師匠が「鯛」をされてたんですよ。その時にもう浪曲が好きやったんで、これは浪曲やと思って、それ以来、文枝師匠にお会いしたら言おうと思いながら、会ってもなかなか言う機会がない。
それがこの5月に三語さんに入っていただいて、ようやく言えたんですけど。すごく嬉しかったのが、「昔の神田伯山に広澤虎造は次郎長をもらって売れた。君にとっての伯山は俺になるのか?」と聞いてくださって。それめっちゃ嬉しかったんですよ。
―熱いお言葉ですね。三語さんはどんな感じで間に入ってくださったんですか?
隼:その時はコロナの関係で、挨拶は結構ですってなってたんですけど、三語兄さんとお話してた時に「実は僕、鯛を浪曲でやりたいとずっと思ってたんです。それを今日言おうと思ってたんですけど、挨拶もできなくて」と話したら、「ええやん!!ちょっと話つけてくるわ!」ってパァーッと二階上がって行って、(三語さんが)「師匠来てって」みたいな感じで。
―そんな感じで、三語さんが率先して行ってくださったんですか。
隼:あれは三語兄さんがいなければ無理でした。
―勢いがすごいですね。
隼:「こういのは勢いやからさぁ!思ってるんやったら行こうや!」みたいな感じで、めっちゃ嬉しかったんですよ。
―その言いっぷりが気持ちいいですね。
隼:三語兄さんは一年くらい先輩なんですけど、めっちゃええ人ですし、パワフルでダイナミックな落語をされて、これはもう一生のお付き合いをさせてもらいたいと思いました。
―ふとしたタイミングで縁が繋がりましたね。
隼:鯛の話ができたのも嬉しかったですけど、三語兄さんという人の持つ男気とパワーを見て、一回会をやってみたいと思って、今回ゲストに推薦させてもらったんです。
だからこそ、今回はパワフルな会をやりますよ。
3.新たな二つの舞台
―最後は隼人さんの活躍の場が広まっているので、その話を聞かせてください。ハルカス寄席の新メンバーに選ばれましたね。
隼:めっちゃ嬉しいです。決まった時に、やっぱり雄叫びをあげましたよ。「うわぁー!やったー!」って。
―今年は山本能楽堂の伝統芸能ナイトの出演も発表されましたよね。
隼:それもずっと出たかったんですよ。地下鉄乗るたびにポスター見て、羨ましく思ってたんです。みんな各界の代表選手が出てるじゃないですか。そんな憧れの会の二つですよ。
―どんどんステージが上がっていくような気がしてます。
隼:この前、ハルカスの会見やったんですけど、ハルカスは過去に浪曲会をやってたんで、向こうの担当者とは顔見知りなんですよ。それで久しぶりにあったら、みなさん暖かく迎えてくださって、嬉しかったですね。またここで頑張ろうと思いました。
また、会見の時に嬉しかったのが、南海先生が「浪曲、講談は難しい芸ではあるけれども、舞台の上に出る時は一つずの芸のぶつかり合いだと。その中で大事なところはどの立場でどういうネタをやるか。当日決まる立場(順番)に合ったネタを選んでできるのは大変勉強になることです。ぜひ立場に合った浪曲をしてください」これを聞いて、ちょっと泣きそうでしたね。
―落語中心の中に混ざっても存在感を示してほしいです。浪曲ファン以外の方にも隼人さんの浪曲を聞いてもらう機会が増えてますね。
隼:そうですね。またハルカス寄席の良いところは近鉄の買い物してる人が来るわけですよ。そういう人に聞いてもらえるのも良いなと思います。
―いつも言ってますが隼人さんが浪曲の入口になっていってますね。
隼:最近、僕がちょっと思ってるのが、テーブル要らんのちゃうかと。一番の鎧がテーブルではなく、いい三味線やと思うんですよ。ぼくにはその鎧があるわけですよ。これは東西の誰よりも良い三味線ですよ。
―テーブルはなくても浪曲は成立すると。
隼:それで先日、百年長屋の友球さんとの会の時に座りだったんです。で、たまたまネタが「徂徠豆腐」。かつてこのネタをやっていた広澤菊春師匠は末廣亭でテーブルなしで座ってやってたんですよ。
―そうなんですか。江戸落語の感じで。
隼:なんでかと言うと、テーブルは古いと。とにかく浪曲を聞いてもらえたら、それでいいんだと。テーブルで浪曲が決まる訳ではない。だから、スタイルは関係ないと言ってて。
それが良いか悪いか分からんけど、とりあえず僕もやってみようも思って、こないだやってみたら、案外しっくりきたんで。無駄なものを削ぎ落とした浪曲を聞いてもらいたいと思ってます。
―削ることで別の魅力がより際立つこともあるでしょうし。
隼:例えば、テーブルの転換してもらう時間も無駄じゃないですか。その無駄な時間を削って、お客さんをダレさせないためやったら、僕はテーブルは要らないと思いますよ。
口と良い三味線があれば僕はどんな環境でもやりますから。
―頼もしい。これからも活躍の場が増えていくことを楽しみにしています。
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