真山隼人インタビュー(2023年3月通信より)
目次
1.今後の展望
2.台本コンクールを終えて
1.今後の展望
―今回は大きなテーマで今後の展望についてお話を聞いていきたいと思います。これまで隼人さんは数々の賞を受賞してきましたよね。
隼:欲しかった二つの賞をいただきました。
―芸術祭新人賞と咲くやこの花賞は業界に入った頃から目標にされていたので、それを受賞したことで目標を見失うことはないですか。
隼:それだけが目標ではないんですけど、一個の主軸として、それを取ることを目標にやってましたよね。それがなくなって、正直言うと、もう賞レースから抜けられたとホッとしてます。
とりあえず落ち着いた。じゃあここから、長い長い自分との戦いだという風に考えてます。
―軸が賞から自分になる感じですか。
隼:なんか、地車に乗って進んでいたのが、急に徒歩で進むようになったような感じですね。これからは良いも悪いも自分との戦いですよ。
―それはそれで難しいところがありそうですね。周りからの評価で、良し悪しが明確になったこともあるかと思いますが、それも自分で決めないといけなくなる。
隼:僕は賞というのは名刺に上乗せできる箔やと思ってるんですよ。活動をしていく上で、自分には及ばない人に声をかける時でも「あんた、これ取ってるんなら大丈夫やなと」言っていただいたんで、背伸びしたい時に助けてもらいましたね。言うてみたら、血統書じゃないですけど、品質保証みたいな。
―賞を取るごとに周りの環境が変わっていくこともあったんでしょうね。
隼:そこで分からないのが、一連の活動の中で賞もいただいているので、賞をもらったから変わったのか、その逆なのか、どっちかは分からないんですけど、環境が変わっていく中で僕は会いたい人に会えましたし、アドバイスもいただいたり、仲間もできました。
さ:機会も与えられるしね。
―これから隼人さんの環境がどんな風に変わっていくのかも気になります。
さ:ここからが長いんですよ。今は新人賞ですから。その次の賞となると、20年、30年かかりますから。でも、まだ取れてないのもありますよ。
隼:そうですね。だから、ここからは忘れた頃にいただけるように努力したいですね。
―自分から応募する賞はなくなっているのですかね。
隼:それで言うたら、花形演芸会はどうなってるんでしょうね。
―昨年、会に出演されて、現在選考中ですか。
さ:銀賞を狙って出演した立場やね。
隼:これで銀賞が取れたら、芸歴20年目までは出演可能なので、活動の彩りとしていいですね。それの連絡待ちです。
花形の何が良いかと言うと、東京の派の違う人たちと共演できる雰囲気。それがすごい楽しかったんですよ。
さ:ツイッターでよく見て、知ってるつもりでおったけど、お互い初めてみたいな人とも出会えて。
隼:すごい楽しみなんですよね。銀賞取れててほしいです。毎日その連絡を待ってます。
―ウィキペディアを見ると、97年以降大賞までとった関西の浪曲師はいないですから。浪曲の新たな道を作ってほしいです。
隼:そういう意味では、賞もほしいですし、活動するための経験値を上げるためにほしいですね。絶対に勉強になる。まだ見ぬ後輩も出てくるでしょうし。
―賞以外で今後考えていることはありますか。
隼:今後の展望としては、新たな外題を作る、古い外題の発掘、浪曲留学、この三本でしょうね。華井新もそうですし、初代真山一郎もですけど、独自の外題をもってやってます。尊敬する先輩方、吉坊兄さん、福丸兄さんのような丹精な感じに、たま兄さんの爆発力を融合させて、自分独自の芸を磨いていきたいですね。
―浪曲留学はどういうことですか。
隼:僕は最近、あえて浪曲業界とはあんまりつるまんようにしてるんですよ。なぜか、浪曲の価値観にはいつでも戻ってこれるから。浪曲を浪曲だけでやるのではなく、雲右衛門が新内やらを取り入れてたように、三代目虎丸も真山一郎も他のジャンルから要素を取り入れてる。それをできるようになるために、僕は今は浪曲留学のつもりで他の人のところに行って勉強させてもらってるわけですよ。
―たしかに今も隼人さんの浪曲には他ジャンルから得た知識や笑いの感覚が生かされてますね。
隼:あとは時代背景とか地に足をつけてやりたいですね。今、「吉良上野介の忠臣蔵」という本を読んでいて、そこで思ったのが、吉良さんって城を持ってない吉良町の殿様とは知ってたけど、そういう時代背景って知らないってことです。徳川幕府の大名の位や、例えば松平が上とか。あんまり調べ過ぎると、浪曲が理屈っぽくなるので気をつけないといけないんですけど。喜田川守貞という人が書いた「近世風俗志」という本があって、江戸時代の風俗志、例えば大名ごとに上下はどう着るかとかを記録していて、そういうのを一冊ちゃんと読んでみたいなと思いますね。
―知識に裏付けがあると所作や語り口にも生かされていきそうです。
隼:二本差しの刀を使い分ける感じとか。高橋英樹さんの本で知ったのは、刀は一回下げてから抜くということ、なんでかと言うと、昔の刀は重たいんです。
さ:高橋英樹さんは、鞘に剣の先を入れて確かめてから剣を戻すとかも言ってたね。
隼:そういう細部ですよね。だから、挑戦もしつつ、一個一個そういう細部もみていくべきやと思ってます。
―なるほど。
隼:それに、言うても、浪曲好きやからこそ思ってるのは浪曲で年取ってから花咲くことはないということ。18歳位の時より声は出るようになってきましたけど、音調は落ちてきましたよ。だから、今後どうなるのかっていうのはすごく不安です。騙し騙しやりながらどこまでいけるか、70代になって良い声が出る訳がない。60代で良い声になる訳がない。よくいって35くらいまでちゃいますか。
さ:でも、研ぎすまれた声はまだ出てないから、それは今から目指せるんじゃない?
隼:浪曲は二パターンあって、研ぎすまれた感じの声でやるのと、アホがバッーンと声を出すのと、僕の中では後者やったわけですよ。どうシフトチェンジするか。
さ:さわりのついた声に今からでも目指せるわけで。
―さわりのついた声ってどんな声ですか。
さ:響きがあるって言うかな。倍音のような。でも、今の時代、売れるためには演目やったり、物語の深みの方がやった方を良いんじゃないかなと思うんですけど。
隼:並行してやっていこうと思ってますよ。次に繋がるためにも、自分のためにも、まだ見ぬ後輩ためにも努力していきたいですね。
2.台本コンクールを終えて
―最後に台本コンクールの話を聞かせてください。隼人さんが企画したきっかけの一つに過去に三代目奈良丸先生が同様の企画をやっていたこともあったので、今回の企画も百年先の浪曲師に向けて資料として残したいと思いまして。
一席目は「押し相撲」でした。この作品を選んだ理由を教えてください。
隼:寄席の浪曲じゃないですけど、コミカルな外題。僕の独演会って三席やるじゃないですか、その流れに沿った中でも、一席目は楽しいものをやりたい、そこに合いますよね。それに浪曲ファンの人はみんな相撲好きやし、僕も相撲好きやし。
―浪曲と相撲はなじみ深いですね。
隼:相撲界で言えば、日本人がもっと活躍してほしいわけですよ。でも、モンゴル力士の良いところはハングリー精神があるんですよ。ハングリーじゃないと相撲なんてできないですよ。その中で前出山は日本人の弱いところがよう出てますよ。
さ:みんなに好かれてて強いんやけど、ここ一番で負けてまう。
隼:日本人を応援したいけど、日本人の気性の問題ですよね。遠慮してしまったりとか。原因は色々とあると思うんですけど、自分の弱い所が前出山にあるし。
―お客さんも感情移入しやすい話かもしれません。
さ:八卦を見てもらってあんな出世するのも面白いよね。
―それが面白みになるのも隼人さんの浪曲ならではでしょうか。
隼:次は「おコマの抜け参り」ですよ。沢村さくらさんも大変推されている。これは望郷という意味で伊勢路が懐かしくなりました。
さ:私は道中付けが入ってるのと、江戸時代の感じがよく出てるのと、当時の本業回の模様が面白くて。
―内容がすごく面白かったですね。
さ:ほのぼのするしね。
―動物が出てくるジブリっぽさと、時代小説のような人間の温かみもあるし。
さ:この浪曲を聞いた人から、東京からの伊勢参りにした方が距離的にもいいんじゃないとも言われたんやけど、そうすると言葉も変えなアカンし、猫のやることやからヨチヨチやん。だから、心斎橋からでいいと思うねん。その方が、近松とか西鶴が出てくることにも違和感ないし。
―そうですね。隼人さんが語る上でも大阪から伊勢に向かう方が合ってる気がします。
そして、金賞は「家茂と和宮」です。隼人さんが前口上で、真山一郎先生の香りを感じたと話していましたが、聞いていてもそんな気がしました。
隼:「落城の舞」と「刃傷松の廊下」とね、「大石主税とその母」。
さ:「浅茅が宿」ではない?
隼:「浅茅が宿」はもうちょっと高尚。
―「片割れ月」思い出しました。時代に翻弄されながら強く生きる人という点が。
さ:家茂って若くして亡くなってるねんな。和宮なんかもっと若いから。
隼:家茂は二十歳。今の25歳くらいの感覚かな。
―そんな若くして亡くなってたのか。金賞に選んだ理由はどんなところでしょうか。
隼:真山一郎の虚空をみたと言うか。そういうことでしょうね。
―作者は落語を書かれている方ですよね。それが表現できるってすごいですね。真山一郎作品を意識されていたのでしょうか。
隼:それはしてないと思いますね。
―たまたまですか。
隼:そうです。でも、これは真山一郎の台本やと思いました。完全にそうではないけど、そのイズムを持っていて。それはどういうことかと言うと、面白いだけでなく、新作のきっちりした浪曲、変にウケを狙ったり、気をてらってない、浪曲として夫婦の情愛も魂の写真を写すも、言うてみたら詰め込み過ぎてるところはあるかも知れないですけど、自分自身の等身大を映し出すことができるなと思ってる次第です。
―偶然にしてもそういう作品が応募されるのは、隼人さんの惹きつけるパワーですね。今回やってみて、新たに思ったことはありますか。
隼:そう言う意味では、僕がいま一番挑戦したいのは長谷川伸だなと。なぜかと言うと、長谷川伸作品をやる人ってみんな「これは長谷川伸先生の台本です」というイメージで、みんなが知ってる長谷川伸っぽい浪曲をやるわけですよ。だからそれを取り巻く人はだんだん長谷川伸に飽きてるんです。
でも、結局なんでそうなるかと言うと、「瞼の母」の原本を読んだことがないから。「一本刀土俵入り」も読んでみて、これを長谷川伸と言わずにやってみてもウケると思ったんです。長谷川伸の本質は人間の弱さであって、浪曲は魂の叫びの芸能やから長谷川伸を何本かやりたいですよ。自分の心の弱さを代弁してくれるところがある。変に長谷川伸は浪曲の代表作やというつもりはなく。
そういう思いを作ってくれた、きっかけになったのが「家茂と和宮」ですよ。
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