真山隼人 震災カメラマン創作(2024年1月通信より)

目次

1.「震災カメラマン」

2.ドキュメンタリー浪曲

3.2024年の目標

1.「震災カメラマン」

―まずは喜楽館の昼席・震災復興ウィークで初披露した「震災カメラマン」についてお聞きします。普段の昼席ならやり慣れたネタをすることが多いかと思います。その分、今回は毎日緊張感もあり大変だったのではないですか。

隼:大変でした。ただ、そういうイベントだったので、よかったですよ。普通の昼席では無理ですわ。今回は皆さんが神輿を担いでくださって、そこにぼくは乗ってたんで、やりやすい環境だったと思います。

―浪曲が今席の聞きどころの一つして存在感も出てました。大変だったのはどういった点でしょうか。

隼:寄席の中で1週間続けてやるのは悩みましたよね。台本はあってないようなもので。出来上がったのはどれも当日の朝ですから。初日に1話目やってみて、それを踏まえて2話目を手直しする。その繰り返しで、毎日書きながらやってるというか。

―月曜から水曜までで1〜3話(完結)までをやり、木曜からまた1話目をする時も月曜にした1話目に手を加えているのですよね。

隼:そうです。試行錯誤しながらの一週間。面白かったですよ。浪曲の会ではなく、やっぱり寄席なんで、あんまり浪曲調になってもあかんし。震災の場面は割愛しようとか、割愛し過ぎてもアカンやろなとか。大変でしたけど、ええ勉強になりました。

―普段から隼人さん、浪曲を聞いているお客さんだけではないですもんね。ご自身の芸がどう受け止められるかが、いつも以上に想像つきにくくて、難しかっただろうと想像します。

この企画は私から隼人さんにお願いしましたが、普段の仕事の依頼に比べると負担も大きいものですが、受けてくださった理由を教えてください。

隼:浪曲ってドキュメンタリー性のある芸じゃないですか。真山一郎なら水俣病や戦争、交通事故をやってましたよ。それでも阪神淡路大震災は自分たちも被災者であるから、ようせんと言ってた。他の人も阪神淡路は時代が近いからようせんと口を揃えて言うわけですよ。震災の頃から、肖像権とか権利の問題も複雑になってきて、色々難しいやろうと思われていたんです。けど、ぼくはかねてより、思ってたのが、一般の方を取り上げると難しさもあるわけで、一般の人では経験できないようなところから見た阪神淡路大震災、例えば映画のクライマーズ・ハイみたいなもんですよ。露骨に御巣鷹山の話をするよりも、視点を変える方がいいと思ってたんです。そういう感じなら、自分もできるのではないかと思っていたら、まさにピンポイントの仕事を言ってくださったんで、これは縁やと二つ返事でさせていただいた次第です。

―なるほど。私からこの話を隼人さんにした時も、すぐに具体的な内容まで提案してくださったのは普段からそこまで考えているからですね。井田さん(題材になったサンテレビの元カメラマン)の話を聞きにいった時には、隼人さんが真剣に聞いているのも印象的でした。

隼:やっぱり取材して、浪曲を作らなアカンとは真山一郎も言ってました。だから、「あゝ水俣病」は石牟礼道子さんの苦海浄土が原作なんですが、石牟礼さんに実際に話を聞いたりとか、「山本五十六」だと、息子さんに話を聞いたと言ってました。実際にやってみて、先生の言う通りやと思いますよ。

あと、もう一つ参考になったのは震災アーカイブですよ。

―ABCのホームページも見てくださったのですか。

隼:作るにあたって、長田地区がこんなんやったとか、位置関係とか。再確認にしつつ、煙が上がっている状況とかを見ました。

―どんな風に被害があったのか、見るのが辛い部分もありますが、言葉とは違うリアルが伝わりますよね。創作する上で、そこまでこだわってくださったのが、有難いです。

隼:これは大変な状況だったんやなという思いで書いてました。それに加えて能登の地震ですよ。正月にこの台本を書いてたら、デカい揺れがあって。

それで気づいたのは、井田さんに言われた通りですよ。井田さんが震災の当日の朝、車で走ってる時に、やたらと、ある一軒の家が燃えてますばっかりをラジオで言ってたと。実際、今回もそうなんですよ。それが蓋開けてみたら、大変な状況で。複雑な気持ちでしたよ。このネタをホンマにやんのかって。でも、みんなで神戸から応援しようということで覚悟決めてやった次第です。

―私も能登の地震を受けて、今このネタをできるのか考えました。だからこそ、隼人さんがそれを考えた上で浪曲を口演してるのを感じましたし、3話目の最後には防災のメッセージも入れているのが印象的でした。

公演全体を通じて、震災に対するイメージに変化はありましたか。

隼:準備をしとかなアカンということですね。いずれ来るものですから、それに耐えられるようにしとかアカンということ。

それと、杉良太郎さんらが炊き出しとかをされてるじゃないですか。ああいった慈善事業を自分らもせなアカンと思いました。


2.ドキュメンタリー浪曲

―真山一郎先生がドキュメンタリーの浪曲をされていましたが、それはかつての新聞読みとはまた違う要素がありますか。

隼:そうですね。例えば、首護送。あれは元々は京山若丸先生がやってたんですよ。その時代はまだ実際の出来事から数十年しか経ってない時ですよ。今、浅間山荘をやるようなもんです。そんな感じで乃木将軍、西郷南洲、勝海舟とか色々あった訳です。ただ、それらは二次創作やと思うんですよ。実際にあった話だが、わりと脚色してやってると。

それに対して、真山一郎のドキュメンタリー浪曲はわりと事実を伝えることを意識している。昔の新聞読みはホンマかってことも多々ありますからね。誇張がすごいですよね。

―事実が元にあっても、新聞とドキュメンタリーで意識していることや作り方が全然違いますね。

隼:ただ、ぼくがどうなのかと思っていることはドキュメンタリーと言うてやるのが、良いのか悪いのかは分かりません。ドキュメンタリー浪曲をやりだして、四、五十年経って、残った作品が何本あるかと考えたら。でも、YouTubeなんかもあって、新しいものを求める時代なので、そういうドキュメンタリーを作るのもええんちゃうかとも思いますよ。

―私は今回の浪曲を聞いて、普段の浪曲とは違う意味や力もあると思いましたし、ぜひまたお願いしたいです。

隼:自分のレパートリーの一つとして、伝えるってやりたいと思いますね。ネットとか見てると、報道に対して色んな意見があるじゃないですか。まさに今やってることだと思いましたよ。映像があるから、浪曲も作れたわけで、そもそも惨状を知らせることで、支援が呼びかけられるわけですから。一概にウザいから(被災地に)来るなという話じゃないと思うんです。報道の人も仕事でやるわけですし。だから、「ジッと見つめて心で泣いて」とは本当にその通りだと思いますよ。


3.2024年の目標

―2024年の目標を教えてください。

隼:今年の目標は芸だけに集中する。もう雑念とかは取り除いて、ひたすら芸だけに集中する。

―今以上に!?

隼:今までも集中はしてるんですけど、やっぱり、それ以外のゴタゴタもあったなと思うところもあるんで。今年はひたすら芸のことだけに脇目も振らずにやりますよ。もう他のことには一切首突っ込まん。芸のことだけにひたすら集中してやる。これしかないです。それ以外のことは絶対にせいへんという強い信念ですよ。

―それを思ったきっかけは何かありますか。

隼:花形金賞をいただいて、すごく嬉しかった。一方で、来年頑張るには今年の勧進帳と鯛を乗り越えなアカンのかと。となった時に、ぼく自身の一番の敵は去年の自分ですよ。それを乗り越えられるか。そのためにはどうしたらいいのか。そう思ったことがきっかけですね。

―なるほど、いい意味で成長とともに、自分自身がハードルになっている。

隼:花形の金賞はすごく嬉しかった反面、さらに上にいかな大賞は取られへん。

―すごいライバルですね。

隼:いまだに仕事先で勧進帳をやってほしいという声をたくさんいただくんですよ。それの次となったら、何をやったらええんかと。

―完成度の高いネタができるほど、次もっといいネタが求められるわけで。

隼:自分の中で候補はあります。それと、ネタだけではなくパフォーマンス能力とやる気と勢いと。

―すごい。そうやって思い続けられることが、成長を続けられる人のマインドだなと思いました。現状に満足しないというか。

隼:まだ28歳ですもん。今年が始まって20日程経ちましたけど、今のところ挫けず達成できてますよ。ほとんど休みなく浪曲やってます。もう負けません。自分に勝たなアカンのですよ。アスリートですよ。

―本当アスリートの精神です。一年後の隼人さんは成長して、違う域にいってるのでしょうね。

隼:そうでしょうね。30歳までに看板化計画っていうのを考えて、やるべきことをずらっと書き出したんです。30歳が15周年で、落語で言ったら真打ですから。大体は達成しましたよ。

ただ、達成できないのが、人間国宝…

―急に現実味が薄れた(笑)

隼:それは難しいんですど、やりたいネタとか、どういう性格でありたいかとか書き出してて。

―人間性まで考えて、目標を立てている人は自分の周りにもいないですね。たしかに、今の時代は表に出る人ほど、人となりを見られている気がします。

隼:それで30代なったら、遊ぶんですよ。

―(笑)

隼:30代なったら、サーフィンします。

―実は海の男ですからね。まだ想像つかないです。

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