真山隼人 2019年の変化・進化 2019年3月号より
1月公演では急病により休演を余儀なくされた隼人さんですが、その後すぐに高座に復帰し、精力的な活動を続けています。色んな落語家さんの会にも出演し、さらに2月23日には大舞台「浪曲名人会」に浪曲口演で初出演。上方演芸界での存在感は益々増してきている印象です。昨年からの勢いは止まることなく、今年も沢山の話題を作ってくれそうです。今回のインタビューはその名人会の話からプライベートな話までいろいろ聞いております。インタビューの場所はなんと、隼人さんの自宅です。男二人、鍋をつつきながら会話する様子をご想像してご一読くださいませ。
目次
1.浪曲名人会の出演を終えて
2.引っ越し
3.「英国密航」をネタ卸しして
1.浪曲名人会の出演を終えて
―まずは浪曲名人会の話からお伺いします。初出演で緊張もあったかと思いますが、実際に舞台に立った感想はいかがでしたか。
隼:こんなにこわい会があるのかと思いました。去年のNHKも独演会もこわかったですけど、今回はこわさしかない。めっちゃこわかったですね。
―こわいとは、具体的にどういう感情ですか。
隼:今までいろんな会に出てきましたが、今回初めて思ったのは「場違いなところに出てしまった」という感情。あそこで芸を大きく見せることがいかに難しいかわかりました。看板になるだけの力がないと やっぱり毎年出られないと思います。
―NHKの東西浪曲大会との違いはありますか。
隼:NHK は浪曲大会なんで、若手が出てもいいんです。けど、今回は名人会ってうたってます。実際に、ぼくの出演が決まった時に「真山隼人は名人なのか」という声もありました。
―厳しい声ですね。演目などでは意識したことはありましたか。
隼:ネタは拍手貰うとかウケるとかを抜きにして、文楽的なものをやりたいと思い、「鳥羽の恋塚」を選びました。浄瑠璃も入れて、しとやかに、これが浪曲だというのを初舞台でやるつもりでやって、結果的に僕の思っていた雰囲気で終われたとは思います。けど、力不足もあり、見せ場で拍手を貰えなかった一幕もありました。その悔しさもあって、来年はもっとお客さんを沸かせたいと思いました。だからこそ来年も出たいですね。
―名人会ではテーブル掛けが初披露されており、それも印象に残りました。テーブル掛けを作った経緯や思い入れを教えてください。
隼:今回テーブル掛けを作ってくださったのは浪曲会にもよく来てくださっている男性の方です。最初は2020年の10周年に披露できるように作ろうという話になったんです。そしたら直後に、名人会が決まって「名人会でなんとしてでもおろせるように作ろう」と話が進みました。決まってからは東京のテーブル掛け屋へ行って、先代の真山一郎先生が使っていた竹のテーブル掛けの写真を見せて「これと同じようにできますか」ってお願いしたんです。そのテーブル掛けは昔からビデオで見ていて「かっこええなあ 同じようなのが欲しいな」と思ってました。
―その竹のテーブル掛けは初代真山一郎先生にとっても特別なものだったのでしょうか。
隼:あれはテレビ用に作ったみたいですね。当時はテレビで本当にあればっかりかけてます。いろいろ見ましたけど、僕が一番綺麗やなと思ったのがあの竹のテーブル掛けなんです。だから今回は本当にいいテーブルかけを作って頂きました。また、新品のテーブル掛けはパリッとしていて、今までのものとは触り心地が全然違うんですよ。
―そんなに違いがあるものですか。ずっと使っていた黄色のテーブル掛けは隼人さんは新品ではなかったのですか。
隼:あれは先代から使っていて、2代目も使って、師弟3代で約50年ぐらいは使ってるものなんです。
―50年も使ってるんですか。それもすごい。
隼:あれはめちゃくちゃいい生地なんです。それが、新しいテーブル掛けができるって決まってから、縁なんでしょうか、あの黄色のテーブル掛けが急に破れ出したんですよ。
―えっ、因果なものですね。
隼:こんな事ってあるんやなと。だから今度からは新しいのをメインで使うのかなと思っています。早く掛けたいんですけど、当分仕事が落語会ばかりで、見台の高座やから使えなくて…。次に浪曲の台に掛けれるの十三はなんです。
―それを知ると触るの緊張しますね(汗)
2.引っ越しについて
―2019年は名人会に初出演して、そこで新しいテーブル掛けをおろし、幸先の良いスタートになったかと思います。そして、もう一つ新しくなったこととして、引っ越しをされています。超プライベートなお話ですが、なぜこのタイミングで引っ越しをされたのでしょうか。
隼:前住んでいたところが、部屋も狭くて、窓は半分くらいしか開かへんし、治安も悪くて、住んでて気分が落ち込んでくるんですよ。そしたら、しんどくなってきて、もう引っ越そうとなりました。
―それは聞いているだけでもしんどくなりそうな部屋ですね。引っ越しの際にこだわったことはありますか。
隼:地域にはこだわりました。ただ、住みたい地域が全体的に家賃が高くて、アカンなと思ってたんですけど、一個だけめちゃくちゃ安くて、めちゃくちゃ広いとこがあったんです。それがここです。階段しかないから安いんやと後でわかりましたけど、部屋の雰囲気も趣があっていいじゃないですか。
―いいですね。畳も落ち着きます。広くて、整理されていて作業もしやすそうです。
隼:今はまだ小さい机を使ってますが、そこに新しい机も置いて、これから新作とか作品を書いていきますよ。そしてこの家、何が良いかって言うと。大家さんがめっちゃいい人なんですよ!引っ越しするタイミングでお風呂もリフォームしてくれて、部屋の壁紙も全部張り替えてくれたんですよ。
―すごいいい人ですね。めちゃくちゃ優しいですね。
隼:さらに、そこの床を見てください。大家さん流にいろんな配線までしてくれてるんです。床も綺麗にしてくれて、ここの畳は新品なんです。
―優しすぎる…。
隼:ぼくが風邪引いてるのを見て、マカドリンクを買って来てくださったり、至れり尽くせりです。そして、引っ越してわかったのが、今までだいぶ体調悪くて、気も滅入ってたのは単純に前の部屋が悪かっただけやと気がつきました。
―空気が良くなかったんでしょうか。
隼:前の家は空気が本当に悪くて、それこそ窓一個だけですよ。最後の方は変な虫がわいたりもしてたんです。それが今日は寝転んで朝日を浴びながら「月刊浪曲」を読んでたわけですよ!幸せやなぁと思いましたね
―人生の幸せを満喫してますね。
隼:浪曲の仕事も特別多いわけではないですけども、安定して生活を維持できてるということは一つ進歩したと思っています。2018年頑張ってきたことで2019年を進歩で落ち着いて迎えられている。そのことに喜んでいます。
3.「英国密航」をネタ卸しして
―先日「英国密航」をネタ卸しされていましたが、その話を聞かせてください。あのネタは広沢瓢右衛門先生が得意にしていたことでも有名ですが、今回ネタ卸しをしたきっかけは何だったのでしょうか。
隼:桂春蝶兄さんから司馬遼太郎記念館で開催される「菜の花寄席」の出演を頼まれまして、そのテーマが「幕末から維新の動乱の日本」やったんです。どのネタをしようかと考えた時に、芦川先生が瓢右衛門先生から英国密航を預かっていることを思い出して、この機会に台本をいただいたんです。
―英国密航は明治・大正期の『新もん』の浪曲です。隼人さんも時代に応じた新作浪曲を演じていますが、過去の名作をやってみて感じることはありましたか。
隼:英国密航に挑戦して思ったことは、武士の話をしてたとしても、時代物の武士とかの形ではない「今で語るんだ」ということです。今の自分で伊藤博文や井上馨を語るということに工夫しながら今回やりました。
―今の自分ですか。
隼:武士言葉ではなくて、今の自然な感じでやるっていうのが新もんの形やって思いますね。あと、「英国密航」って盛り上がりのない中途半端なネタやなってずっと思ってたんですよ。でも、のほほんとした時代の若者の姿が見えて、なんか結構あのネタ好きになりましたね。
―ツイッターで「難しかった」と呟いていたのはどのような点についてですか。
隼:難しかったのは、国本武春師匠と奈々福姉さんの英国密航の型が今の浪曲ファンには浸透していることです。お二人は江戸の言葉でやってて、それに対して瓢右衛門師匠の型はちょっと破天荒なんですよ。ぼくの浪曲を聴いて「武春師匠のと違う。」「ええ加減にやり過ぎ、破天荒でハチャメチャ過ぎた。」という声がありました。ぼくは瓢右衛門師匠の型でやってたので、その点は難しいなと思いました。結局そこは、武春師匠の型でしてもダメやし、瓢右衛門師匠の型でもアカン。何か第三の型を見つけないとアカンのやなと思いますね。瓢右衛門師匠の真似してても、やっぱり真似は真似なんで。瓢右衛門師匠のにおいを入れつつ新しいウケるやり方を見つけていかないと、これからこのネタを続けていくのは難しいんやと思いますね。
―現代に合わせて隼人さんなりの英国密航を作らないといけないんですね。隼人さん自身が新作として新もんの浪曲を出していく、いわゆる新もん読みになることは考えていますか。
隼:新もんみたいな作品は書いていこうとは思うんですけど、そこを目指さなくてもいいかなと思ってますね。古典もやるし、新しいのもやります。ただ、昔の物を昔のまんまやるっていうのが嫌なんで、それは対応していかなアカンと思ってます。
―なるほど。では浪曲師としてこだわっていく部分とはどこにありますか。
隼:やっぱり声の力っていうのが一番ですね。声至上主義の人は啖呵がダメだっていう人がけっこういてるんですけど、やっぱ浪曲は声の力じゃないんですかね。話芸で笑いに走ってもアカンし、話芸に寄り過ぎない声の力です。雲右衛門が武士道鼓吹と言い始めたころから、やっぱり浪曲には鼓舞させて震わせる力があったんですよ。それはやっぱり声の力しかないんじゃないですかね。それをどう表現するかっていうのが難しくて、やっぱり百人いれば百通りのやり方があるわけです。ある程度までは師匠の真似でええと思うんですけど、途中からは離れてもええと思います。それこそ、個性を出していくような。
―浪曲って個性の芸なんですよね。
隼:個性の芸でしょうね。過去には一門の節と違う節やってる人もいましたし、ぼくも真山の節かと言えば、全然違うのをやろうと挑戦しています。そういう風に悩んでいくのが大事なんやと思いますね。
―なるほど。では浪曲師としては内容よりも声でお客さんの心を揺さぶりたいのですね。
隼:ぼく自身の意見としては内容よりも声なんですけど。現状を見て思うのはやっぱり内容がないのはダメですね。それは、今のお客さんは浪曲に解釈を求めてるからです。そういう需要があるわけですから、やっぱり解釈も考えながら、元の台本もだいぶ触ったり書き換えたりしています。例えば、家族観とかでも今の時代に合わせていかないといけません。それがズレ過ぎると、積み重ねてきた世界観が一気に崩れてしまうこともあります。なので、解釈も大事なんやなと思ってます。とりあえず、ぼくが思うことは、家帰って今日面白かったまた行こうって思っていただけるようにしたいですね。
―難しい質問にもたくさん答えていただき、ありがとうございました。
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