真山隼人 10月4日独演会への意気込み 2019年9月号より


目次

1.十三浪曲寄席7月公演振り返り

2.十三浪曲寄席8月EXTRA振り返り

3.独演会について

今月の通信は大好評企画!?「隼人さん自宅インタビュー」の第2段です。今回は途中からさくらさんも合流。ファンなら食べたい隼人さん特製の玉子焼き(味濃いめ、美味しかった)を食べながら、7月・8月公演と10月4日の独演会についてです。独演会で口演される「ぬれ手拭い」のことやゲストの澤師匠のことが語られていますので、インタビューを読んで、独演会をよりいっそうお楽しみにしていただけますと幸いです。


1.十三浪曲寄席7月公演振り返り

―まず、十三浪曲寄席の7月公演について教えてください。あの公演は真山隼人、国本はる乃、京山幸太という今注目される若手浪曲師3人が初めて揃った浪曲会でした。どういう気持ちで舞台に立たれましたか。

隼:やっぱり負けられない思いが強かったです。それに、トリとしての責任が重かったですね。あの2人は声を出して浪曲をするタイプなので、2人には全力でぶつかってきてもらって、それを受けて最後にどういう浪曲をするのか随分悩みました。

―なるほど。演目に「名刀稲荷丸」を選んだ理由は何だったのですか。

隼:どうしたらトリとして、どっしり構えてできるかなって考えた時に、謙虚な気持ちで今一番自分がやりたい浪曲をやろうと思いました。十三浪曲寄席で一度やったネタでしたが、そういう思いで「稲荷丸」を選びました。あのネタはやっぱり、(主人公の)直助が自信ありながらも謙虚なんです。だからこそ、謙虚な気持ちがないとできないなって思いますね。

―直助は天真爛漫で大胆な一面もありつつ、すごく謙虚ですよね。それは隼人さんの浪曲を見ているとよく伝わってきます。ご自身と重なる部分もあるのかと思います。

隼:それもありますね。あのストーリーはすごいまどろっこしい話なんですよ。自分のご主人助けたいがために、主人を裏切って刀鍛冶に弟子入りして、6年目に国の赤穂に帰るって。でも、なんというか、浪曲らしい話で、ぼくは本当に大好きなので、これしかないという思いでさせていただきました。

本当はその一席で勝負したら良かったんですけど、ずっと温めてた三十石船のパロディもさせていただきました。前からやりたかったんですけど、他人の会や寄席ではできないので、十三でやらせていただこうと思いまして。

―その場所に十三浪曲寄席を選んでいただいたのは光栄です。あのネタは以前から温めてたんですね。

隼:一年くらい前から思いついてて、ぼくにも他の浪曲師の方にも当てはまることを探してました。例えば24歳でピチピチで声もバァーと出す若いやつ…国本はる乃!女装もするし男装もする…京山幸太!浪曲界の若大将…玉川太福!とか。いよいよここでやれるという気持ちでした。

―あんな面白いネタができたら、きっと早くやりたかったですよね。実際お客さんの反応もすごくウケてましたし、私も舞台袖で聴いてて爆笑でした。浪曲師ならではの視点から新しいものを創作できることが隼人さんの強みや個性だと改めて感じました。それが若手3人の会で発揮されたのも良かったと思っています。

※下の写真は7月公演にて。三十石のパロディを口演中。眼鏡をかけて浪曲している姿は珍しい

2.十三浪曲寄席8月EXTRA振り返り

―それでは8月公演のことを聴かせてください。8月公演は作家・町田康さんをお迎えしたEXTRA公演で、隼人さんにはトークコーナーでご出演いただきました。

隼:町田さんに会いたいがためにお邪魔させていただいて、申し訳なかったですよ。

―いやいや、隼人さんの存在は心強かったです。三人の方が話しやすいですし、知識の豊富な隼人さんの言葉には説得力があります。トークの幅も広がりました。

隼:ありがとうございます。でも、幸太くんが本当によく勉強して、どういう事柄で話すかよく考えくれてました。彼が自分で主導権を握るくらいの気で対談を盛り上げてるのを見て感動しましたね。一番感動したのはそこかもしれないです。

―そこですか!意外というか、やはり目線がお客さんとは違いますね。

隼:本当にあの時に彼を見て、すごいなぁ、よう頑張ってんなぁと思って。浪曲もあんなに良い「河内十人斬り」を聴いたのは久しぶりだっていうくらいです。偉そうなこと言う立場じゃないんですけど、熱が入ってて素晴らしいと思いましたね。

―幸太さんの浪曲には実際アンケートやツイッターでも反響は大きかったです。初めて浪曲を聴いた人も多かったのですが、浪曲を聴き始める良いきっかけになったとも思います。町田さんとのトークはどうでしたか。

隼:やっぱり町田康さんってすごいなって思いました。どういうことかと言うと、町田さんは思ったより浪曲を聴いてなかったんです。聴いてないんですけど、浪曲とは何なのかという分析にすごく納得させられました。例えば、浪曲の魅力は感情が直接伝わってくるとか、男性の浪曲はこうとか、女性の浪曲はこうだとか。

―浪曲の専門的な話ではなく、客観的に浪曲を見て、分析されていましたね。歌や映画などとも比較しながら浪曲の魅力を語られているのは新鮮でした。

隼:そうなんですよ。ぼくが浪曲を客観的に見ようとしてもどうしても主観的になってしまう。町田さんは完全に客観的に見てるんで、そういう意味で、人情の機微とはどういうものなのか勉強になりました。

3.独演会について

―それでは独演会のことを聞かせてください。今回の見どころの一つはネタだしもしている「ぬれ手拭い」かと思っています。まずはその話から聞かせてください。

この演目は元々は東京の浪曲師・国友忠先生(1919~2005)が持ちネタにされていたと聞いています。国友先生とはどういったお方だったのでしょうか。

隼:国友忠先生はさくら姉さんの師匠である沢村豊子師匠が相三味線を務めてはった方です。※相三味線…浪曲師に専属する曲師。

―なるほど。さくらさんを通して繋がりがあるのですね。たしか、東京ではなく地方に住んでおられたと記憶しています。

隼:そうです。元々は東京で浪曲をされていたんですけど、ラジオの放送のために5年間毎日「銭形平次」を書くような生活をしたりして、しんどくなって茨城県の古河に行かれたみたいです。そこで馬の世話をしたり、中国から残留婦人を戻す活動をされてたんです。

―5年間毎日浪曲を書く生活!体力も精神力も半端じゃないですね。でも、それでしんどくなってしまったんですね。その後の活動にもすごく信念を感じて気になるのですが…。茨城に行かれてからはもう浪曲はされなかったのですか。

隼:ちょっと休んではりましたが、復帰公演もされています。で、その国友先生が休んではる間は豊子師匠も引退してたんです。

―そうなんですか。豊子師匠はずっと浪曲をされているイメージがありました。いつ頃の話ですか。

隼:昭和40年代から50年代の頃でしょうね。豊子師匠も馬の世話をしたりして、色々そういう活動をしてたんですよ。それくらい相三味線やったわけです。

―浪曲師と曲師の絆は特別ですね。他に例えようのない気がします。

隼:さくら姉さんが豊子師匠に弟子入りした時には、お稽古に国友先生が来てくれはって、国友先生が唸ってくれてはったんですよ。

―そうなんですか。国友先生と豊子師匠には絆があり、さくらさんは入門した頃に国友先生にもお世話になり、豊子師匠の芸を受け継いでいる。隼人さんの話を聞くと国友先生と隼人さんの繋がりや縁をより感じます。その国友先生の代表作でもある「ぬれ手拭い」ですが、どういったお話ですようか。

隼:すごい怖いんですよ。最初聴いた時に「これはエゲツないな」と思いました。浪曲は大体、悪人が善人に立ち返って良かったで終わるじゃないですか。でも、これはただの悪人なんですよ。後妻と間男が金欲しさに寝たきりの坊さんを殺すんです。

―悪者が最終的に改心する話はよくありますね。

隼:そうなんです。稽古では浪曲の中のネタとはいえ、人を殺すっていうのは体力がいりますね。

―役に入り込んでるのですかね。台詞とはいえ、人を殺すなんて本気で考えるとゾッとします。

隼:だから、そこのシーンだけはあまり稽古しないんですよ。二人で合わせるのは二回くらいです。あとは豊子師匠のところにも行ってやったのもあります。それで、やっぱり豊子師匠すごいんですよ!「あたしねぇ、もう覚えてないから」って言いながらも、感覚でしょうね、もうテープ通りに弾くんです。ぴったりなんですよ!

―このために豊子師匠のところにまでお稽古に行かれたのですね。

隼:行きました。この「ぬれ手拭い」は本当に難しくて、豊子師匠には「あんたは悪人じゃないから本当の悪さが出ない。」と言われました。一見、悪人には見えない普通にいる人やけど、実は財産を狙っていて殺しまでする。そういう細かいシーンの描写というのがやはり国友先生の作品らしさでもあるんです。

―国友先生はそういう細かい芸だったのですか。

さ:緻密な芸ですよね。リアルというか。

隼:人によっては「あそこまでリアルにするのはなぁ」っていう意見もあります。

国友先生は関西の浪曲ファンにはあまり馴染みがなかったりするんですけど、ハマッたらこの世界はヤバいですよ。

さ:例えば「銭形」は本当に推理小説を聴いてる感じです。私は『忍術指南の巻』が好きで、「誰なん犯人?」ってドキドキしますね。

隼:それに『平次女難』では平次と女性が二人きりになる色っぽい場面があるんですよ。家の前を通る新内語りの新内をやりつつ、女性の色っぽい声もやってる。あれは感動しましたね。

※国友忠先生の「銭形平次」シリーズは連続ラジオ小説で放送された国友先生の代表作品。

―やはり「ぬれ手拭い」の話をすると自然と国友先生、豊子師匠の話に広がりますね。お二人の偉大さを感じます。その二人が作り上げたネタを隼人さんとさくらさんがどんな風にされるのかすごく楽しみです。早く見たいです。次に最初の演目の「いろは文庫」とは何のことですか。

隼:「いろは文庫」とは五月一郎先生がネタ出しをしない時に「お楽しみ」みたいな感じで使ってた言葉なんですよ。

―そうなんですか。そういう言い回しがあるとは全然知りませんでした。

さ:わたしもしばらくは太閤記をいろは文庫と思ってましたよ。その当時、五月先生は太閤記の「秀吉の報恩」ばっかりかけてたんです。あれ知った時は衝撃でしたね(笑)。

隼:ぼくはもっとひどくて、いろは文庫ってネタを探して「いろは文庫ってテープありますか?」聞いてましたね(笑)。

こないだ取材してくださった新聞記者の人もそれを知らずに、調べてくれてはりました。実際に「いろは文庫」っていう本があるみたいで、その「いろは文庫」の中のどの話ですか?って聞かれましたね。

さ:でも、実際には「(浪曲の)いろは文庫」はないけど、「浪曲~~全集」みたいな感じで、そこ載ってそうな気がするじゃないですか。粋な言い回しを考えてはるなと思いますね。

―良い言い方ですね。ちなみに、何をするか決めてたりしますか。

隼:スカッとするのをやりたいなと思っています。

―では、最後にゲストの澤孝子師匠についてお伺いいたします。まずゲストに来ていただく経緯は何だったのでしょうか。

隼:ぼくは前から澤孝子師匠が大好きだったんですよ。それに東京に行く度に可愛がっていただいて、お声もかけていただいてましたので、今回ゲストに来ていただけないかお願いしました。

さ:澤師匠は浪曲が大好きだから、ラジオとかも全部聴いてるんです。私が大阪来てからもラジオとかで私の三味線を聴いたら「さくらちゃんは上手くなりましたね。」とか言っていただいたり、みんなをチェックしてくださってるんですよ。

―キャリアに関わらずチェックしてはるんですね。

さ:木馬亭でも澤師匠はトリやけど、トリの出番まで後ろに座って聴いてはるんです。どの子がどのくらいできるとかも知ってはって、そんな風にみんなのことを見てくれてますね。

隼:それに中途半端にやると、ホンマに見抜かれるんですよ。でも、こないだ「片割れ月」をラジオでやった時に「牧先生らしい難しい台本をよく頑張りましたね。」と言ってくださったんです。牧先生の台本が浪曲として難しいというのも本当によく知ってはって、それを「よく脚色してやってる」って言ってくださって嬉しかったですね。

―澤師匠の浪曲について教えてください。

隼:澤師匠の舞台は登場のシーンから別格なんです。現代の大看板なんですよ。すごい、大きなものが出てきたという。

さ:百合子師匠と風貌は似てるよね。

隼:百合子師匠も澤師匠も特別体が大きい訳ではないけど、舞台に出た時に大きく見えるんです。

―存在感とか空気感みたいなものですかね。澤師匠の芸風は廣澤菊春師匠譲りの面白みのある感じなのでしょうか。

さ:そうですね。

隼:出てきた時の存在感が大きいので重圧感のある浪曲なのかなと思われるんですけど、でもすごい軽やかな感じです。

―聴きやすい感じもあるのですね。

隼:そうですね。澤師匠は関西では見れる機会が少なので、そういう意味でも、この独演会は関西の浪曲ファン全員に観に来てほしいですね。

―貴重な機会でもありますね。独演会は全部で3席ですが、どれもすごく充実した内容になりそうですね。ちなみに、今回は東京でも公演がありますね。

隼:お世話になっている(港家)小そめさんとこ小そめさんの旦那さんに出ていただいて、コラボでちんどん歌謡浪曲をやります。これもまた面白くなりますよ。

※小そめさんは「ちんどん月島宣伝社」として活動もしている。

―大阪と同じことをやらないところがさすが隼人さん。本当に貪欲でアイディアが豊富ですね。体に気をつけて是非独演会を成功させてください。

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