コラム「京山幸太は浪曲界の…」2018年10月号より

 今回の十三浪曲寄席通信では主催者の主観も多分に含めながら、京山幸太の目指す浪曲師像について演目の観点から紹介する。

 一般的に浪曲の演目と言えば赤穂浪士など義理人情をテーマにしているイメージがあるかもしれない。しかし、それは浪曲のごく一部の側面で、実際には笑いの多い演目や相撲の演目、家族愛がテーマの演目など、浪曲には他の芸能と比べても特に幅広いジャンルが存在する。それには明治期に浪曲という芸能が確立された当時から落語や講談の演目を柔軟に取り入れ、その姿勢が昭和になっても残り、文芸作品や宗教、事件などあらゆるジャンルを浪曲に創作した背景がある。だが、1人の浪曲師があらゆるジャンルの演目を口演している訳ではない。むしろ、浪曲師個人や一門に特定のジャンルや演目が結び付いていて、「この浪曲師だからこそ聴ける演目」なども多く存在している。

 京山幸太のいる幸枝若一門も演目に対するお客さんの期待や固定観念は大きい。それは初代幸枝若がこれまでの浪曲のイメージを一変するほどの芸を持ち、その音源が今でも多数残っていること。そして、実子でもある2代目が見事にその芸を受け継いだ事によるのかもしれない。よって、京山幸太にも幸枝若一門らしい芸をするという固定観念が付きまとう。実際に入門から覚えてきた演目も、一門らしい侠客ネタや「河内十人斬り」が多い。

 しかし、入門から6年目を迎えて彼は新たな道へも進もうとしている。これまで軸にしてきた侠客ネタに加えて、「色気」のある演目に挑戦したいと言う。京山幸太の言う「色気」とは下ネタではない。耽美的な話や人間の欲望を表現できる浪曲だ。こういったジャンルの演目は幸枝若一門にはなく、浪曲界でも多くはない。それゆえ、彼は浪曲を創作するなど、これまでの浪曲を覚える稽古とは違う作業が必要になる。大変な労力を要するかもしれないが、もし挑戦すれば、真山隼人が三味線浪曲に挑戦して可能性を広げたように、京山幸太も道なき道を進み、新たな可能性を広げる事に違いない。

 SNSを通じて自身の感性やファッションを発信するなど、彼には表現者としての一面もあると思う。それを色気として浪曲に生かすことができるようになれば、彼の大きな強みになるだろう。幸枝若師匠から受け継ぐ浪曲をベースに個性が加わり、彼にしかできない浪曲が生まれる。そして、それを新たな浪曲のジャンルとして後世にも繋いでいってほしい。そうすれば、彼は浪曲界のデヴィッド・ボウイになるかもしれない(完全に主観)。

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